16.演技を解説するな!/17.もっと変わった演技?/18.「ドラマチックな劇空間」のために俳優は?/19.「もし自分なら…」VS「もし登場人物なら…」/シーン前後の流れをイメージする

16.演技を解説するな!
演出家に「観客はお前から解説や説明をされたいわけじゃねーんだ!」と怒られています。その意味を聞きたいのですが、いつも「それくらい自分で考えろ!」といわれているので聞けません。参考意見を聞かせてください。
なるほど…、そういう言い方で簡単に答えを見つけさせないというのも役者を育てる一つの方法かもしれませんね。
私はそういうタイプではありませんが。

さて、脚本の捉え方を演出家や観客にこれ見よがしに説明してしまう俳優は確かにいます。

大切なのはその時のその役の人物の感情表現なのに、そういうタイプの俳優は頭でっかちに芝居そのものを説明してしまうのです。それは観客に任せるべきことなのに。

あなたがしたことは余計なおせっかいだったのです。

あなたがいつもそうするタイプの俳優でないことを願います。

そういうタイプの俳優は役としてではなく俳優本人として舞台の上に立っています

そして最悪な場合は脚本に対する自分の理解度を見せ付けたり、その捉え方の切り口を誇ったりしてしまうのです。

演技することというのは口調や表情といった表現を用いて脚本の解説をしたり、シーンの意味を説明したりすることではありません。

また役の人物が今どう感じているかを説明することでもありません。

あなたという個性を通して役としての人物が「今」という空間に生きることです。

舞台空間の中に生きてください。

あなたは役に生きる俳優ですから解説者になってはいけないのです。


17.もっと変わった演技?  
現在、ある無名劇団で俳優修業中のものですが、演出家がやたら「もっと変わった事できないかなあ」と言うのですが、僕としてはなぜ変わったことをしなくてはいけないのか納得できません。演技を「見世物」的にする必要があるのでしょうか?
見世物」的にする必要は全くないと思います。というか、してはいけないと思います。

しかしあなたが演出家の意図をまだ把握してないという可能性もあります。

どちらにしろあなたとその演出家はまだコミュニケーションが足りないのではないでしょうか?

感情的になることなくじっくり話す時間を持ったほうがいいのではないかと思います。

可能性として、もしかするとあなたは役に対して客観的になってしまい、実に当り障りのない、誰もがするような演技をしてしまっているということも考えられないでしょうか?

あなたの演技を見てもいないのでこれは蛇足かもしれませんが、

俳優が誰にでもわかってもらえるような一般的な演技をすれば観客は

「一般的で何がいいたいのかはよくわかるが、私個人のためのシーンではない」と感じます。

しかし逆に俳優が個人的な演技をすればするほど観客は

「これは他でもない、私個人に関わるシーンだ」と感じるものです。


あなたは個人的な演技をしていますか?

もし「はい」なら是非それを続けてください。あなたの演技が観客から評価を受けるのは恐らく時間の問題です。

もし「いいえ」なら私はあなたに変化を求めます。恐れの気持ちを持ってはいけません。

「こんなことをしたら相手役や演出家は自分を変な目で見るようになるのではないか」とか「こんなことやってもし引かれたらはずかしいな」などと思う必要は全くないのです。

照れながらやってもいけません。

舞台上のあなたはすでにあなた自身ではありません。それはみんなわかっています。

勇気を持つのです。勇気を持つことは良い演技をするための重要な要素です。

心配する必要は全くありません。

観る人は必ずわかってくれます。


18.「ドラマチックな劇空間」のために俳優は?
私が最近行き始めた演劇サークルのテーマが「ドラマチックな劇空間」というものなのですが、舞台をドラマチックにするためには役者として心がけた方がいいことがありますか?
これまた漠然とした質問で困ってしまうのですが、かまわずこちらのペースで書かせてもらいます。

何を「ドラマチック」とするのかという演出家の指向で大きく変化することだと思うので、本当に参考になる自信はありません。

まず、11番「演技に厚みがない」の項目を参考にして下さい。

演技を平坦なものにしないために、ここに書いてあることは実に効果的な方法だと思われるので。

さて、ここでは「逆の感情」について、さらに書き加えようと思います。

「逆の感情」に関して、私たちは日常生活の中でその存在を自覚している場合と自覚していない場合があります。

両者のうち注意がより必要なのは自覚していない場合です。

次の文章はその状態を良く表わしています。



「もうずっと前の話しなんだけど、

その日、大学ん時付き合ってた女の子がうちに夕方遊びに来ることになってたのよ。

でも約束の時間になっても彼女は来なくて、二十分経っても三十分経っても来ないの。

俺だんだん腹立ってきちゃってさあ、

それで四十分ぐらい経った時、彼女から電話があったの、


遅れてごめんねって。


でも俺そん時、頭きて電話をすぐガチャンって切っちゃったのよ。

そしたらまたすぐに電話があって、彼女謝るわけ。

でも俺も若かったからかもしれないけど、その腹立つ感情の収拾がつかなくてさあ、


「もう来なくていいよ」


とか言ってガチャンってまた切っちゃったんだよね。

そしたらその状況を見てた弟が俺に言うわけ。


『感情と気持ちは違うのにな』


って・・・。

それで俺も後で考えたのよ。

確かに俺は彼女に腹立ててた感情に正直で電話を乱暴に切ったけど、

本当は彼女と話したかったし彼女に来てもらいたかったんだなって。

結局自分の本当の気持ちにはぜんぜん正直じゃなかったんだよね。

感情と気持ちって、結構別行動しちゃうのよ。」( 作:西原和美『満月に恋して』より)



彼の感情は表面的には怒りで一杯で「もう来なくていい」と言ってしまうのですが潜在的な感情は逆です。

潜在的にある感情は本人が自覚していないのだから役としても感じなくてもいいのではないか、という意見が出るかもしれませんが、それは違います。

それでは実際存在している感情がないことになってしまいます。

俳優は潜在的なものも含めて葛藤を表わすべきです。

そうすればそのキャラクターはより複雑なものに仕上がり、血の通った実在の人物に近づくことができます。

そしてシーンはよりドラマチックになるのです。

どうですか? 少しは参考になること書きましたかね?


19.「もし自分なら…」VS「もし登場人物なら…」
私は今まで「自分ならこうするはずだ」ということを基準に役柄を考えてきました。
しかし最近ある人に、そうではなく「役の人物ならどうするのか」を考えた方がいいと言われました。

でもその役そのものは私が演じているのですから、結局私自身の感じ方が基準になってしまうのは仕方がないような気がします。この考え方はおかしいのでしょうか?
あなたの考え方がおかしいというわけではありません。

この私も以前はあなたと同じような考え方で演じていた内の一人です。

しかしあなたに「役の人物ならどうするのか」を考えた方がいいとアドバイスした人の考え方に耳を傾ければ、あなたは今よりももっと楽しく、大胆に演じることができるようになるはずです。

経験上、役を自分の基準で考えてしまうと役そのものがこじんまりとしてしまいます。あなたの可能性そのものが制限されてしまう確率が非常に高くなしまうのです。

ここで簡単な質問をしましょう。

あなたは大切な人からの荷物が宅配便で届くのを、今か今かと待ちわびています。ところがなかなか届かないのであなたは宅配便の事務所に電話をかけます。すると答えは「夕方の6時までには届きます」というものでした。

しかし6時になっても荷物はいっこうに届きません。

あなたはいらいらして再度事務所に電話をかけるのですが、答えは「もうそろそろ着くはずなのですが…」というはっきりしないもので、結局荷物が到着したのは午後7時近くになってからでした。

さて、あなたはその時どれほど怒り、どんな行動に出ますか? 

まさか、どんなことがあっても大声でわめきながら宅配便のトラックのヘッドライトを握りこぶしで割ったりはしないですよね!?

しかし、私は二十代の時、アメリカ人と一緒にルームシェアをして暮らしたことがあるのですが、これは実際その時、私が目の前で見た光景なのです。

もちろん私はこんなに激しく怒ることはないですし、恐らくあなたもないと思います。

しかし少なくとも私の知る、そのアメリカ人の友人は実際そのように怒りを表わしたのです!

演技をしている時、あなたは「俳優」なのか、それとも「登場人物」なのでしょうか? 

もし「登場人物」であるなら、あなたも登場人物として、それくらい腹を立て、ついヘッドライトをこぶしで割ってしまう可能性だってあるのではないでしょうか?

実際もしかしたらいつか、あなたに気の短い日系アメリカ人の青年役が回ってくるかもしれません。

しかしその時も、もし自分を基準に考えていたら、恐らくあなたは私の友人のような怒りの気持ちを持つことはありえないでしょう。そして演技は大抵、常識的なものに陥りやすくなり、それにより登場人物の象徴性が浮き上がりにくくなります。

あなたにお勧めします。是非「役の人物ならどうするのか」さらには「役の人物ならどこまでやることがありえるのか」という観点に立って役作りを行ってみてください。

きっと自分でも驚くようなダイナミックなものを発見できるようになるはずです。

最後にあなたに名優の言葉を伝えましょう。

「それはスターと俳優の違いさ。スターは役柄を自分に引き寄せるが、俳優は自分を役柄に合わせる。」(マイケル・ケイン)


20.シーン前後の流れをイメージする
演出家に以前「大切なのは、あなたが今そこに立っている、今その時の気持ちなんだ」といわれたのですが、別の日には同じシーンで「大切なのはあなたの心の中の気持ちの流れなんだよ!」と言われて戸惑っています。「気持ちの流れ」を追いすぎると、どうしても芝居に集中できないからです。これは私の理解の方法が間違っているのでしょうか? 演出家の意図を理解できていないのでしょうか? ちなみにこの演出家もスタニスラフスキー論者です。
あなたの理解は間違っていません。

確かに演技中に気持ちの流れを追うことなど意味のないことですし、芝居に集中できなくなると言うのはもっともな意見だと思います。

しかし、その演出家の方が言っていることも間違いではない気がします。演出家は今の気持ちが大切なのか、それとも、気持ちの流れが大切なのか、ということを言おうとしているのではないんじゃないか思うのです。

もちろん俳優は舞台上で「今」を生きることが求められます。

ですから演技中に登場人物の気持ちの流れを考えているなんていうことはダメに決まっています。

しかし当たり前のことですが、演技の準備をするのは「登場人物」ではなく「俳優」です。

演出家は恐らく、(脚本には書かれていない)そのシーンが始まる前と後の登場人物の心理状態を、あなたにさらに深くイメージして欲しかったのだと思います。

俳優の頭の中で自分が演じるシーンの前後にきちんと光が当てられていなければ、少なくともそのシーンのイントロとエンディングは不完全で曖昧なものになってしまいます。

例えば走り高跳びの基本的な技術要素、助走、踏み切り準備、踏み切り、空中動作、着地の五つのうち、ほとんどの人にとって最も関心が高まるのは、バーに触れるか触れないかというドラマティックな部分、「踏み切り」と「空中動作」でしょう。

しかしもちろん競技者はその部分だけを切り抜いて取り出すことは出来ません。

同じように俳優にとっても「流れ」の前後を省くことはできないのです。

シーンの前後を具体的にイメージできた上で演技にのぞみましょう。

これは適当なイメージでは意味がありません。

シーン内と同じように具体的に作り上げるのです。

シーンの後を作ることも忘れないように。

そうすればおのずと迷いのない「今」の気持ちが導き出されてくるはずです。

←TOPに戻る